- 己を殺すほど危険にさらす、さすれば力が湧いてくる。
- 命を賭けると、闘う意志が湧いてくる。
- 死は祭り。
- 幸福より歓喜、人生は一瞬の爆発、瞬間の爆発の積み重ねでしかない。
- 誰かの相対的価値の中に生きてはいけない。それは卑しい生き方だ。
- 究極の選択に迷ったとき「よし、それなら死んでやろう」と決意して恐ろしい方に飛び込む。その瞬間、全身が活きてくる。死に直面した時こそ命が歓喜するのだ。
- 結果が良くなろうが、悪くなろうが、構わない。むしろ悪くなった方が面白いんだと思って自分の運命をかけていれば命がパッと開く。
- 自分自身を崖から落とせ。
- 自分の薄暗い心の中でボヤッと光る、僅かな灯火、その一点のみを見つめるんだ、そしてそれに全てを懸けるんだ。
- 自分の信じていること、正しいと思うことに脇目も振らず突き進む。自分で自分を最適の悪条件に、突き落とすんだ。最大の敵は自分、ならば、己を殺せ。
- 画家にしても才能があるから絵を描いているんじゃないかとか、情熱があるからそこまで行動ができるんじゃないかとか言う人がいる。勘違いしてはいけない、逆だ。何かやろうと決意しているから意志もエネルギーが噴き出してくるんだ。 何も行動していないで意志なんてものは無い。自信はない、でもとにかくやってみようと決意をする。その、一瞬にかけてみろ、それだけでいい。いや、それしかないんだ。意志を強くする方法なんてない、そんな余計なことは考えるな。本当に君がやりたいことに全身全霊をかけて、集中するんだ。何度も言おう。上手くいくとかいかないとかそんなことはどうでもいい。結果は関係ない。自分の運命をかけるんだ。そうすれば必ず意志は湧いてくる。
- 本当に生きるということはいつも自分は「未熟」なんだという前提で、且つ、それを平気だと思って生きること。
- 孤独だという人はもっと激しく自分を突き放してみたらどうだろう。人に好かれようなどと思わず、人から孤立してもいいと腹を決めて、自分を貫いていけば本当の意味で、みんなに喜ばれる人間になれる。自分にとって一番の敵は自分自身なんだ。その敵であり、障害をよく見つめ、そして戦うんだ。つまり自分を大事にし過ぎているから色々と思い悩む。そんなに大事にしないで、よし、それなら、今度から好かれなくていいと決心して、自分を投げ出してしまうんだ。ダメになって結構、そう思ってやればいい、最悪の敵は自分自身なんだ、自分をぶっ壊してやるというつもりで、それくらいの激しさで挑むんだ。そうでなければ今までの自分を破壊して新しい自分になることはできないんだよ。人は自分を客観的に見ているように思っていても実は誰もが自分のことが可愛くて大事にし過ぎている。そういう自分をもう一度外から眺めてみるんだ。なんだお前はこの世の中で豆粒ほどのちっぽけな人間だ。それが、自惚れたり、また自分を見下しだりして、嫌になったりしている、なんてくだらないんだ。そうやってつっぱなして今の状態をありありと見てほしい。自分が豆粒ならそれでいい。小さな存在こそが世界を覆うんだ。
- 死とか危険とか辛いこととかそれらと対決した時に人間は燃え上がる、それこそが生きがいであり、その時に感じているものは幸せなんかじゃない。「歓喜」なんだ。
- 幸せという言葉に惑わされずに外の世界に飛び出すんだ。次のレベル、そしてまた次のレベルの世界へとどんどんチャレンジしていくだ。確かに先に進めば進むほど苦しい、きっと今より傷つくし、今より辛い。最悪、死に近づくと言っていい。しかし、そっち側にいかなければこの世界にうまれてきてよかったと思えるような「歓喜」を味わうことはないんだ。
- 人間が生まれてきて、いちばん痛切に掴み取らなければならないものは、「生命感」だ。生身で運命と対決して歓喜すること。
- 生存本能が行動力や生産性を減退させるケースがある。不安やネガティブで行動不能になった時は「よし、それなら死んでやろう」と思って飛び込むこと。行動さえできれば新たな何かしらをえられて、不安やネガティブから抜け出せるだろう。