「ノルウェイの森」からの学びまとめ
  • 私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがまま。 たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、 するとあなたは何もかも放りだして走ってそれを買いに行くのよ。 そしてはあはあ言いながら帰ってきて「はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ」ってさしだすでしょ、 すると私は「ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ」って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。 私が求めているのはそういうものなの 私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。 「わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショート・ケーキを食べたくなくなることくらい推察するべきだった。 僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。 何がいい?チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?」 私、そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの。
  • 自分に同情するな、自分に同情するのは下劣な人間のやることだ
  • 死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ
  • どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ
  • 学生時代に読んではまった本。いまだにたまに読み返すと発見がある。例えば自分に同情するのは下劣な人間のやることだ、という言葉。最初に読んだときはそこまで刺さらなかった。今の自分には刺さる。自分に同情しているうちは自分の外側に負の結果の原因を求めている。例えそれが事実だとしてもそういうアプローチは成長をもたらさない。
  • ミドリの言葉も最初に読んだときは、こんな自分勝手なやついないだろとシンプルに思った。実際、ミドリの言うような一見理不尽な状況は現実に起こりうる。人は潜在的に「完璧なわがまま」を実行したい欲望があるのでないか。それが表に出ることは往々にしてありえる。誰かを真に愛するためには「完璧なわがまま」を包括して、賢く対処し、受け入れる。その覚悟と能力が必要なのではないかと今は思う。

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