【ミステリと言う勿れ】からの学びまとめ・要約 真実はいつも人の数だけある

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    1話の要約・あらすじ 容疑者久能整

    大学生の久能整は、朝から自宅でカレーを作っていた。そこにアパートの大家が大隣警察署の刑事、薮と池本を連れて現れる。昨夜10時の行動を問われた整は一人でカレーを作っていたと答えた。すると薮は付近の公園で寒河江の遺体が発見されたことを整に伝え、警察署へ任意同行を求める。
    整は薮、そして青砥の事情聴取を受ける。公園で殺害された寒河江は整と同じ高校の出身で同じ大学に通っていた金持ちの息子のボンボン。寒河江が殺害された時刻に整と争っているのを見た目撃情報があり、整は容疑者となっていたのだ。だが、薮たちの厳しい追求に整は淡々と無実を訴える。
    夜、刑事の風呂光に預けていた携帯電話を返してもらいに行った整は、彼女がペットロスであることに気づく。また、池本が間もなく父親になるという話も整の耳に入った。
    翌日、整が警察署に行くと、薮から指紋を採るよう命じられた風呂光と池本が取調室にいる。整は風呂光のペットロスを言葉で癒し、池本にも出産を迎える妻との不和に対するアドバイスをした。
    取調べ三日目、整は署内での立ち位置に悩む風呂光を励まし、希望を与えた。そこに藪が来て、寒河江を殺害した凶器が見つかり整の指紋が検出されたと伝える。

    真実は人の数だけある

    人は主観でしかものを見られない。それが正しいとしか言えない。そこに一部始終を目撃したCがいたとしたら、またさらに違う印象を持つかもしれない。神のようなだ第三者がいないと見極められないんですよ。だから戦争や紛争で敵同士でしたこと、されたことが食い違う。どちらも嘘をついていなくても、話を盛っていなくても必ず食い違う。AにはAの真実が全てで、BにはBの真実が全てだ。だからね、アオトさん、真実は一つなんかじゃない。二つや三つでもない。真実は人の数だけあるんですよ。でも事実は一つです。


    僕は知らない。寒河江がどんな人間か。あいつの真実はわからない。


    全員が嘘を言っていなくても食い違うことがある。

    人の数だけ真実があるのなら、それにこだわる意味はない。一つの個人的に真実について正当性を主張することにも意味がない。共通するものは事実のみ。事実を正確に捉えて、それぞれの持つ真実に対して折り合いをつける。人にできることはそこまでだ。

    愛を持っていたとしても話さないと伝わらない

    そういうことも話さないと、本人には伝わらないんですよ。


    薮さんは家族を愛していただろう。参観日に行かなかったのも、年寄りが行ったら子供が笑われるんじゃないかっていう思いやりからだ。ただ子供にとっては参観日にも仕事を優先して来ない父親、と言う事実だけが残る。家族だということに甘えないで心配事、不安、どう思ってるか、どうしたいか、口に出してコミュニケーションをとるべき。

    言葉にしなければ何も伝わらないと思っていた方が、ちゃんと話そうという気になるだろう。きっと言わなくてもわかってもらえるという幻想は持たない方がいい。

    権利と捉えるか義務と捉えるか

    僕はたまにメジャーリーグの中継を観るんですけど。メジャーリーガーや監督は試合を時々休むんですよ。奥さんの出産はもちろん、お子さんの入学式や卒業式、家族のイベントで休むんです。彼らは立ち合いたいんです。行かずにはいられるかって感じで行きたくて行くんです。でもその試合の中継をを観ている日本の解説者はそれについてなんて言うかって言うと、「あー奥さんが恐いんでしょうね」、彼らにはメジャーリーガーが行きたくて行ってることが理解できない。なぜなら自分はそう思ったことがないから。無理やり行かされてると考える。大切な仕事を休んでまでと。


    メジャーリーガーは子供の成長に立ち合うことを父親の権利だと思い、日本の解説者たちは義務だと思っている。そこには天と地ほどの差があるんですよ。

    義務と捉えて仕方なく取り組むことにメリットはない。自分でしかできないこと、自分が貢献できることに感謝し、権利、特権と捉える。それによりもっと快活に取り組むことができ、学びや貢献も多くなる。

    2話の要約・あらすじ バスジャックの目的

    整が乗った美術館行きの路線バスがバスジャックされた。乗客に名前を聞いていく犯人に、整は逆にバスジャックの目的と名前を聞く。すると犯人は犬堂オトヤと名乗る。
    その頃、大隣警察署には連続殺人事件の捜査本部会議が開かれていた。その日の朝、新たに4体目の遺体が発見された。被害者に共通点はなく、容疑者の目星が全くつかない状態。青砥や池本らが忙しく動く中、風呂光は捜査に参加させてもらえない。そんな時、風呂光は後輩の警官からバスジャックの通報があったと報告された。しかし、付近のバスは問題なく運行している。風呂光は青砥たちに話すが、ただのイタズラ電話だと受け流されてしまった。
    整の乗ったバスは公園に一旦停まる。オトヤは乗客たちを1人ずつトイレに行かせる。真っ先にトイレに向かわされた整は外部に連絡する方法を考える。出かける前に池本から連絡先のメモを渡されていた整はメモ用紙に起きていることを書いて、犯人に見つからなさそうな場所、誰かが見つけそうな場所に置いた。
    再びバスが走り出すと、整がオトヤが人を殺してはいけない理由を乗客に聞いていく。それに対し整は理詰めにしてオトヤ怒らせてしまう。逆上したオトヤはナイフで整に切りかかるが、乗客の熊田が整をかばった。さらに、乗客の坂本がオトヤを投げ倒す。乗客たちは安堵するが、坂本は落ちたナイフを乗客たちに向ける。その後、バスは犯人の指示で、ある屋敷にたどり着く。

    人に迷惑をかける劣等感

    あなたが殺されずにすんでいるのはここにいるのが秩序を重んじる側の人たちだからです。どうして人を殺しちゃいけないんだろうなんてわざわざ考えることのない、そういう人たちだから今、あなたは殺されずにすんでいるんですよ。


    つまりね、あなたは水泳大会にやってきて、棒高跳びがしたいっていっているようなもんなんです。大変迷惑なんですよ。だからあなたは棒高跳びの大会に出たらいいんですよ。ただしその大会は何のルールもない、誰も順番を守らない、あなたの棒をへし折りにくる敵もいる。そんな大会です。それがあなたの出たい大会なんです。ただし、もしそういうところには行きたくない。自分だけが殺す側でいたいとか思うならそれはまた別の話です。それは単に、人より優位に立ちたいとか、人を支配したいとか、つまり劣等感の裏返しでしかないからです。どうして人を殺しちゃいけないんだろうっていうレベルの話じゃそもそもないんですよ。


    みんながルールを守ってるそのプールでわざわざ棒高跳びをしたいのが殺人鬼なんだよ。

    最近物騒な事件が多い。秩序のあるところで事件を起こして、捕まって死刑になりたいとかほざく輩がいる。結局のところ、動機はしょうもない劣等感に起因することが多い。なぜ劣等感が解決しないのか、怠惰だからだと思う。何も貢献できない、成長しないから劣等感は増すばかり。もし努力をしても、何においても秀でること、成長ができないとしても貢献はできる。貢献すれば、承認欲求が満たされ劣等感がどうでもよくなったりする。誰かに迷惑をかけたりしなくも、もがいて頑張っていれば生きててよかったと思える日がきっとくる。

    怠惰は聖書で七つの大罪の一つとされる。なぜ殺人などと一緒に扱われるか。多くの罪が怠惰に起因するからだ。

    いじめる奴は哀れで病んでいる

    DVもそうだけど、どうして被害者側に逃げさせるんだろう。病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは加害者の方なのに。


    先生や親に「あいつにいじめられたよって。あいつ病んでるかもしれないから、カウンセリング受けさせてやってよ」って、みんなが簡単に言えるようになったらいいと思う。

    いじめるやつはいじめることで劣等感や支配欲を満たす。被害者が不登校になったり、悲しんだりすることでより劣等感、支配欲がより満たされる場合がある。

    周りはいじめっ子が劣等感、支配欲を満たすのを後押しするようなことをしてはいけない。もし、いじめる奴を「あいつは病んでいる、可哀想な奴」と周りが変換するようになれば欲望は満たせなくなるんじゃないか。ただただ可哀想な奴として扱われる。そうなればいじめる報酬、メリットはなくなるんじゃないかと思う。