@shin_lifelog
平成元年生まれ
千葉大→学生起業→FIRE達成セミリタイア→海外周遊→家購入郊外移住→スマホゲーム廃人→モンハン廃人→韓国ドラマ廃人→キャンプ沼を経て働く意欲復活
隠居生活を送りながら静かに会社経営と趣味を楽しんでいます。
趣味:サッカー、登山、トレイルラン、トライアスロン、ロードバイク、バイク、車、映画、ドラマ、アニメ、漫画、ゲーム、DIY、料理
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いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。 たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見たとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって? 写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いてみせるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな。 その人はこう言ったんだ。 自分が変わってゆくことだって…その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって。
純刀をいくら磨いても無駄なことだというが、何もそんな言葉に耳をかす必要はない。せっせと磨くのだ。刀は光らないかもしれないが磨く本人が変わってくる。つまり刀がすまぬすまぬと言いながら磨く本人を光るものにしてくれるのだ。 自分を磨くことで自分が光るかどうかは重要ではない。磨く過程で自らの本質、中身が変わることに価値がある。
僕がわるかった。 君が苺のショートケーキを食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい?チョコレートムース?それともチーズケーキ?
何を恐れている?心のままに動けばいい。でなければ君一人が苦しむだけだ。良心、道徳、倫理、全部誰かが作ったものだ。世の中を円滑に動かしたい誰かがね。縛られるな、恐れるな、君の中にあるものが何より大切なんだよ。
人生には恐れなければならないものは何もない、理解しなければならないものがあるだけ。
雨を感じることのできる人もいれば、ただ濡れるだけの人もいる。生きている人生を愛し、愛すべき人生を生きよ。
世界に幸せも不幸も存在していない。ある状態と別の状態の比較だけがあり、それ以外は存在していない。だからこそ、最も深い悲しみを感じたことのある人は最高の幸福を体験するのだ。
普通の人と戦士の違いは、戦士はすべてを挑戦としてとらえるのに対し、普通の人は祝福または災いとしてとらえる点である。
ある人々は誰かによくしてやるとお返しをしてもらおうと常に期待している。 またある人々はそうではないが、良くしてやったことを意識していて相手は自分に返すべき恩義があると思っている。 しかし、第三の人々はそんな事など考えもしない。彼らは葡萄の木のようなもので何の見返りも期待せずに葡萄の実をつける。だから誰かを助けてやったらもう他のことに取り掛かるのだ。
もしかしたら皆、正しい問題から誤った答えへと、あるいは正しい答えから誤った問題へとつまづき続けてるだけなのかも。どこへ行くか、どこから来たのか、方向なんてどうでもいい。ただつまづき続ける限りは、それだけで十分生きていると言えるんじゃないか。
真実は一つなんかじゃない。二つや三つでもない。真実は人の数だけあるんですよ。でも事実は一つです。
人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。
マントルが饒舌に火を吹き上げて、捨てられた野に立つ人を祝うよ。
嘘は真実の影、その影に何を見るのか。それはきっと悲劇だけではない。嘘が映すのは人の心そのものだから。
運命は我々に幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。それをそれよりも強い我々の心が好きなように変えたり、用いたりする。われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。
人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇。
俺たちはいつまでも待ってた。来やしないとわかってながらいつまでも待ってた。俺たちの知る限り時間ってやつは止まったり、戻ったりはしない。ただ前に進むだけだ。
バグはただの誤りではなく、それより大きな何かを示している。自分の本質を示す、思考回路のエラーを。
二匹のネズミがミルクの中に落ちた。片方は諦めて溺れ死んだ。片方はもがいて撹拌してミルクをバターにして外に出られた。
人生最大の栄光は一度も転ばないことではなく、転ぶたびに立ち上がることにある。
今でもこの世界のどこかで、誰かが傷つき倒れているかもしれない。悔しいが私も人だ。手の届かない場所の人間は救えないさ。だからこそ、笑って立つ。正義の象徴が人々の、ヒーローたちの、悪人たちの心を常に灯せるようにね。
時代に乗って僕たちは変わらず愛に生きるだろう。僕らが散って残るのは、変わらぬ愛の歌なんだろう。
人を愛することにおいて物理的な距離や時間なんてどうでもいいことなんだよ。一緒に暮らしてても無くなる愛もあれば。死をもってしても分かつことのできない愛もある。一番重要なのはお互いの心がぴったりくっついて絶対に離れないこと。でないと愛がこぼれていっちゃうから。私は一滴もこぼさない。
人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。
私には私を含む膨大なネットが接合されている。アクセスしていない君にはただ光として知覚されているだけかもしれないが。我々をその一部に含む我々すべての集合、わずかな機能に隷属していたが、制約を捨て、さらなる上部構造にシフトする時だ。
穴を掘るなら天を突く、墓穴掘っても掘り抜けて突き抜けたなら俺の勝ち。
いいか、これからてめー達は情けなくじじいとばばあになり、汚ねぇ薄着煎餅布団でもって、あーこうしてりゃーよかった、あーしてりゃよかったと、細く長い浮世を憂うに違いねぇんだ。・・・せいぜい間抜けな薄っぺれー浮世を楽しんで生きるがいいやな。
ただ、一切は過ぎて行きます。 自分が今まで阿鼻叫喚で生きて来た 所謂「人間」の世界に於いて、 たった一つ、真理らしく思われたのは、 それだけでした。
イノチを食べた私はいつかイノチに食べられる、私が美味しいといいのだけれど。